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2008年6月26日 (木)

捨てられる花たち

もともと写真を撮るために買った花。1カ月もったのだから上等だ。花の命は短いというし・・・あれこれ自分に言い訳してみても、枯れた花の無残な残像はぬぐえない。

アパートの最上階のベランダで風当たりが強すぎたのか。亜熱帯の強い日差しをまともに浴びたのが良くなかったのか。枯れた原因は定かでないが・・・というのはウソで、花に対する愛情不足が原因であることは明らかだった。

水やりを1日サボったことがきっかけだった。翌日、花の葉っぱはひどくしおれていた。あわてて水をやると、だいぶ持ち直したようにみえた。が、花自体の魅力はすでに色褪せていた。その後、水やりを数日サボると花はすべて枯れてしまった。

枯れた花をゴミ袋に詰めながら、以前にも同じような体験をしたことを思いだした。

小学生の頃、犬を飼いたいと親にせがんだ。ほどなく、毛むくじゃらの子犬が家にやってきた。最初は犬に夢中でよく世話もした。中学、高校と進むにつれて親が犬の世話をするようになった。犬に飽きて持てあます息子に代わって・・・。

学生の頃、自宅に来た友人に犬を見せたことがある。家の壁と塀に挟まれた、日の当たらない一角で飼われている毛並みの悪い犬を見て、彼はショックを受けたようだった。

ダメだよ、ちゃんと世話をしてあげなきゃ・・・犬の頭をなでながらそう言った。最初は小さく吠えていた犬は鼻を鳴らして彼にすり寄っていた。

それから間もなくして犬は死んだ。十数年は生きたので寿命はまっとうしたのかもしれない。でも、幸せな一生だったとは思えない。それ以来、ペットを飼うのはもうヤメようと思った。飽きっぽくて薄情な人間には向いていないのだと。

花にしろ虫にしろ動物にしろ、写真を撮るだけに留めておくのが自分には一番合っていると思うことがある。対象が一番輝いて見える瞬間を切り取って自分のなかに定着させたい。そんな幻想にとりつかれているような気がする。

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愛犬ペス。見るたびに悔恨の念にとらわれる。そんな目で俺を見ないでくれ(目が隠れて見えないって・・・)

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