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2011年1月

2011年1月28日 (金)

バケツの穴

東京の小さな出版社で働いていたことがある。社員は10人ほど、社長はワンマンで押しが強く、その息子が専務をつとめていた。社長と専務がたびたび親子ゲンカをしていたのを思いだす。入社してすぐに、ここは長く居るところではないと思った。

数カ月経って仕事にも慣れた頃、社長がコーヒーを飲みに行こうと誘ってくれた。案内されたのは会社から歩いて数分の喫茶店。店内には重厚な雰囲気が漂い、歴史を感じさせた。

運ばれてきたコーヒーに手を伸ばそうとすると、「キミ、ここのカップは高いんだから気をつけてくれよ」などと社長が言う。割らねぇよ、ガキじゃないんだから・・・とゲンナリした気持ちでコーヒーを啜っていると、社長はバケツの穴について語りはじめた。

たとえバケツに穴が開いていても水を注ぎ続けていればバケツの水は涸れることがない。確かそんな内容だった。どこかで聞いたような話だと思った。自己啓発の本で見つけて、ウチの社員への訓辞に使えると思ったのかもしれない。

1年数カ月でその会社を辞めた。一緒に働いていた社員について思いだすこともほとんどなくなった。それでも、バケツの穴の話だけは妙に覚えている。

バブルがはじけてまもない頃に聞いた、どーでもよい人間のどーでもよい話。20年ちかく経ってそれが脳裏によみがえるのは、水を注ぐことを怠ったツケが今になってまわってきていることを仕事で痛感したからだろう。

そんなわけで、今年の必須課題はバケツに水を注ぐこと。穴も大きくなっているので大量の水が必要だ。その一助にと購入した電子ブックリーダーのKindleがもうすぐ届く。ちょっと楽しみかも。

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もう届いていた・・・

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2011年1月22日 (土)

新しい朝がきた

内地にいた頃は早起きの生活だった。そのメリットはよくわかっているし、沖縄でも実践したい。が、アラームで目覚めてもベッドから起きられないのだ。起床時間はたいてい8時をまわっていた。

2011年の幕開けにあたって目標をたてた。寝る時間に関係なく、翌朝はかならず6時に起床する。早く起きれば1日が長くなり、午前中の時間を有効に使える。窓を開けて張りつめた早朝の空気を浴びれば、その日1日を有意義に過ごせそうな気がする。

朝6時に起きるには、無機的なアラーム音ではなく、心に訴える力強いメッセージが必要だ。去年の夏、近くの公民館から流れるラジオ体操の曲で何度か目覚めたことを思いだした。

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ
ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に開けよ それ一、二、三

エネルギッシュな歌詞。メロディーも溌剌としている。早起きの目覚ましにピッタリだ。

Craving Explorerというフリーソフトを使って、YouTubeから「ラジオ体操の歌」をダウンロードする。オリジナル(?)の児童合唱にも惹かれたが、作曲者の藤山一郎が歌うバージョンを選んだ。

ここで新兵器が登場。MP3 Clock DXという目覚まし時計だ。自分が選んだMP3ファイルの曲を取り込んで目覚まし音に設定できる(価格は送料込みで\3,379。発売元のサンコーのホームページで購入できる)。

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新兵器の導入から1週間。「ラジオ体操の歌」は期待に応えてくれた。毎朝6時きっかりに藤山一郎の張りのある歌声で目が覚める。「この香る風に開けよ それ一、二、三」の「一」で首をもたげ、「二」で上半身を起こし、「三」でベッドから跳ね起きる。ベッドの脇に仁王立ちになり、両手に握り拳を固めて「うおっし!」と雄叫びをあげる。睡魔に負けてベッドに逆戻りしないための"おまじない"だ。

昔はこんな大騒ぎをしなくても、朝6時にふつうに起きることができた気がする。藤山一郎が「希望の朝だ♪」と高らかに歌いあげなくても、新たな1日はそれなりに楽しみに満ちていた。それだけ自分がトシをとったということなのだろう。

ともあれ、2011年は勝負の年――と書けばカッコイイけど、要は心を入れ替えてしっかり働きましょうねということ。それほど昨年の収入はひどかった。今年はまったり構えてなどいられない。ブログのタイトルも「きっちり名護くらし」に変えようかなぁ。

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2011年1月13日 (木)

名護ウォーターフロント

ほぼ1週間ぶりの晴天。夕方、日課のウォーキングのために21世紀の森公園へ向かう。久しぶりにきれいな夕陽を観賞できそうだ。

名護球場を通り過ぎて公園西端の堤防へ。国際交流会館に隣接する土地が整地されていた。以前はゲストハウスがあった場所だ。海に面して絶好のロケーション。何か建つのだろうか。

堤防でUターンし、ビーチ沿いの遊歩道を名護の市街地へ向かう。正面の山の斜面に「虹」の文字が輝いていた。この光文字、毎年違う言葉が選ばれる。昨年は「恩」、一昨年は「縁」、そして今年は「虹」。

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明けたばかりの2011年。果たして明日への架け橋となるだろうか。そんなことをつらつら思いながら歩いていく。振り返ると、ちょうど太陽が沈もうとしていた。ここから眺める日没の光景は飽きることがない。

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公園の東端まで行き、海へ突き出た堤防を往復する。ふだんはここで帰途につくのだが、今日は海沿いの道を「虹」へ向かってさらに進む。

名護漁港が目の前に近づいてくる。漁港の手前の川に橋が架かっていた。最近出来たらしい。これで21世紀の森公園から名護漁港まで海沿いに歩いて行けるようになった。

小腹が減ったので漁港の食堂へ。食堂内にあった天ぷら売り場が別棟に分かれていた。魚やイカの天ぷら(1個50円)がお気に入りなのだが、入口には「本日売り切れ」の非情なサインが・・・。

漁港を越え、幸地川の橋を渡って東江地区へ。この海辺一帯も最近整備され、海に臨んでテラスが造られている。テラスの先端では釣り人がイカを狙っていた。

護岸の上を端まで歩いていく。小さな川の手前でテラスは終わり、その先では人工ビーチの工事が行われていた。

本日の延長ウォーキングはこれにて終了。歩いた総距離は3km弱くらいか。市街地を抜けて自宅へ戻る。

陽が沈むと急に冷えてきた。暖かくなったら食堂の天ぷらをツマミにして漁港の堤防でビールを飲もう。TSUTAYAの前で買ったタイ焼きを頬張りながら、そんな思いつきに一人ニンマリした。

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2011年1月 4日 (火)

帰省 2011

元旦に東京へ行くことにした。3年ぶりの帰省。1月だから寒いし、飛行機も混むので気は進まない。でも、正月を逃すと帰省はズルズルと先延ばしになるだろう。

不義理な息子の罪滅ぼし。そう自分に言い聞かせて、ナフタリン臭が染みついた厚手のジャケットを衣装ケースから取りだした。

3泊4日の東京滞在はあっという間に過ぎていった。90歳になった父親は前回会ったときよりも耳が遠くなっていたし、80ちかい母親は腰が曲がりはじめていた。実家の冷蔵庫には相変わらず食料がぎっしり詰め込まれていた。久しぶりに会った高2の甥っ子はあの年代特有の無愛想なオーラを醸していた。

その一方で、シンと冷えた夜の六本木で眺めたイルミネーションは美しかった。正月なので人が少なく、快適な街歩きが楽しめた。電車も空いていてラクに座れた。

連日のように空は晴れわたり、すがすがしい気分だった。冷気で身がひきしまる感覚を久しぶりに味わった。今年はマジメに働かねば・・・。

窓の下に糸満の市街地が広がっている。飛行機はすでに那覇空港へ向けて着陸態勢に入っていた。定刻より30分以上遅れている。

空港から出ると、湿気を帯びた亜熱帯の空気にもわっと包まれた。ああ、帰ってきたと思う。ここが自分の居場所だと改めて感じる。

3年ぶりの東京は、寒さも思ったほどではなく快適だった。でも、どこか遠い存在に思えた。昔、旅行で訪れた土地を再訪したような感覚。

やはり、自分には沖縄での暮らしが合っている。そう再認識させた4日間だった。

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